旅するアトリエ

宮崎に移住したいちご農家のヨメは旅人。5年間で30ヵ国60都市をめぐってました。

会社員卒業

6月末をもってD社を退職。

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思い返せば3年前にことごとく就活に失敗した末、
営業300人に対し5人の枠の商品開発本部に、
さらに新卒採用が初めての広告制作部に拾ってもらった。

 

高校中退、ニート、フリーター生活。
私の人生すべてを認めてもらっての就職でした。

 

『今やる、すぐやる、できるまでやる』
と張り出されたオフィスで
取材、ライティング、動画、画像、コーディング…

 

やめる理由もないくらい学べる環境で
1分単位で仕事をこなす日々を過ごした。

 

気づいたら広告制作に夢中になって
私生活でもずっと写経したり
Photoshopの練習したりとにかく仕事が大好きだった。

 

同期がコンテストでグランプリをとったのが悔しくて
上司の前で何度も「うまくなりたいんです」って泣いたこともあった。

 

夜遅くまで上司に原稿を見てもらったおかげで
気づけば私も四半期ごとのコンテストで
準グランプリ、新人賞、なんかいろいろもらってた。

 

一番うれしかったのは2年目に
広告専門誌「月間ブレーン」の
C-1グランプリをとったことに合わせ
本部の敢闘賞を頂けたこと。

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2年2ヵ月の間に異動したのは4回。
(オフィス異動も2回あった)
本当に変化の多い会社ならではの
仕事を学ぶことができた。

 

退職する際に「管理職候補でした」といわれた言葉に
大切にされていたことを裏切った無責任さに
申し訳なくなった。

 

退職を決めてから半年間。
最終日まで部長には一度も目を合わせられなかったけど
「いつでも戻ってこい、選択肢は多い方がいいから」
と飲み会で乾杯できたことにこの無念さが救われた。

 

取締役にも声をかけていただき
祝福されながら握手で別れを告げられたのは
本当に幸せなことだと思った。


30人くらいかな?
忘年会?ってくらい
みんなが門出を祝ってくれた。

 

私不在の二次会も開かれたみたいで
茜ロスという言葉が生まれたみたい。愛だ。

 

ありがたいことに
両手に抱えきれないほどのプレゼントをもらった。

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50人くらいのライターたちの色紙は
涙なしにはよめなかった。
みんな、文章うまいんだもん。

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中でも、たった一人の同期からの手紙は
帰り道、寝る前、朝起きたあと、
いつ読んでも涙が止まらなかった。

一生、大切にしたいと心から思った。

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やめたことを後悔できるくらい幸せな職場だった。
私は制作部を愛していたし、愛されていると実感できた。


ここでおわらない関係だと自信持っていえる。

 

でも、辞めたことを後悔したくないから
私は新しい道で幸せをつくると決めた。
悲しんでくれたみんなのためにも。

 

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(大好きな同期ちゃん。職場の立地は最高だった)

 

 

さて、ここからですね。


『常識や社会のレールにとらわれず
自分の生きたい道を選んで
自分を愛せる人が増えてほしい』

 

その気持ちは入社当時と変わらないけれど、
求人広告という画面越しの誰かのためではなく
顔の見える人のために私は生きたい。

 
それでもまだ、さみしくて泣くこともあると思う。

『高校中退からせっかく手に入れたOL生活は?』
『会社辞めて独立したちゃあみーは?』
『人生で一番時間かけてみんなで法人に育てたMealinkは?』

 

アイデンティティにしていた
すべての可能性を東京に置いてきたんだもの。

 

やりきったものの
未練たらたらで悔しくて
何度も心臓をぎゅーっと掴まれもした。

 

まぁね、でも
行動と感情が矛盾してこそ人間らしいなって。
悲しくても前にすすめるのが人間だなって。

 

もう、新しい地で
もっと幸せつくるって決めたんです。

さー、泣いてられません!
いつでもどんな場所でも花咲かせましょう♡

 

本当に本当にお世話になりました。大好き。

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