会社員卒業
6月末をもってD社を退職。
思い返せば3年前にことごとく就活に失敗した末、
営業300人に対し5人の枠の商品開発本部に、
さらに新卒採用が初めての広告制作部に拾ってもらった。
高校中退、ニート、フリーター生活。
私の人生すべてを認めてもらっての就職でした。
『今やる、すぐやる、できるまでやる』
と張り出されたオフィスで
取材、ライティング、動画、画像、コーディング…
やめる理由もないくらい学べる環境で
1分単位で仕事をこなす日々を過ごした。
気づいたら広告制作に夢中になって
私生活でもずっと写経したり
Photoshopの練習したりとにかく仕事が大好きだった。
同期がコンテストでグランプリをとったのが悔しくて
上司の前で何度も「うまくなりたいんです」って泣いたこともあった。
夜遅くまで上司に原稿を見てもらったおかげで
気づけば私も四半期ごとのコンテストで
準グランプリ、新人賞、なんかいろいろもらってた。
一番うれしかったのは2年目に
広告専門誌「月間ブレーン」の
C-1グランプリをとったことに合わせ
本部の敢闘賞を頂けたこと。
2年2ヵ月の間に異動したのは4回。
(オフィス異動も2回あった)
本当に変化の多い会社ならではの
仕事を学ぶことができた。
退職する際に「管理職候補でした」といわれた言葉に
大切にされていたことを裏切った無責任さに
申し訳なくなった。
退職を決めてから半年間。
最終日まで部長には一度も目を合わせられなかったけど
「いつでも戻ってこい、選択肢は多い方がいいから」
と飲み会で乾杯できたことにこの無念さが救われた。
取締役にも声をかけていただき
祝福されながら握手で別れを告げられたのは
本当に幸せなことだと思った。
30人くらいかな?
忘年会?ってくらい
みんなが門出を祝ってくれた。
私不在の二次会も開かれたみたいで
茜ロスという言葉が生まれたみたい。愛だ。
ありがたいことに
両手に抱えきれないほどのプレゼントをもらった。
50人くらいのライターたちの色紙は
涙なしにはよめなかった。
みんな、文章うまいんだもん。
中でも、たった一人の同期からの手紙は
帰り道、寝る前、朝起きたあと、
いつ読んでも涙が止まらなかった。
一生、大切にしたいと心から思った。
やめたことを後悔できるくらい幸せな職場だった。
私は制作部を愛していたし、愛されていると実感できた。
ここでおわらない関係だと自信持っていえる。
でも、辞めたことを後悔したくないから
私は新しい道で幸せをつくると決めた。
悲しんでくれたみんなのためにも。
(大好きな同期ちゃん。職場の立地は最高だった)
さて、ここからですね。
『常識や社会のレールにとらわれず
自分の生きたい道を選んで
自分を愛せる人が増えてほしい』
その気持ちは入社当時と変わらないけれど、
求人広告という画面越しの誰かのためではなく
顔の見える人のために私は生きたい。
それでもまだ、さみしくて泣くこともあると思う。
『高校中退からせっかく手に入れたOL生活は?』
『会社辞めて独立したちゃあみーは?』
『人生で一番時間かけてみんなで法人に育てたMealinkは?』
アイデンティティにしていた
すべての可能性を東京に置いてきたんだもの。
やりきったものの
未練たらたらで悔しくて
何度も心臓をぎゅーっと掴まれもした。
まぁね、でも
行動と感情が矛盾してこそ人間らしいなって。
悲しくても前にすすめるのが人間だなって。
もう、新しい地で
もっと幸せつくるって決めたんです。
さー、泣いてられません!
いつでもどんな場所でも花咲かせましょう♡
本当に本当にお世話になりました。大好き。